『夢を生きるストーリー』

「夢は日本画で世界制覇!」

あなたの周りでそんな事を言う人がいたらどう思いますか?

はじめまして。日本画家の榊原伸予です。

これは、私がいつも言っている事なんです。初めて聞いた人は、大概「いい大人が何馬鹿な事言ってるの?」って冷ややかな目で見ます。

でも、2、3回言い続けてると、相手の態度が
「そういう事を言えるところが凄いよね」に変わり、さらに言い続けてると、
「そうだね。あなたは、やる人だ!」に変わります。いつの間にか応援する側の人になってくれてます。

夢は口に出しているとどうやら叶う方向に動いて行くようです。

私は、物心ついた時からお絵かきが好きな子どもでした。
自然豊かな土地に生まれ育ち、一番古い記憶は、お花畑の中でピンクの花の絵を描いていたことです。地べたにしゃがみこみ画用紙にクレヨンで描きながら『あ、きっと今日の事は忘れない』と思った事を覚えています。

幼稚園にあがるより前、毎日の日課は家の前の原っぱにある土管を秘密基地にして絵を描くことでした。

どこまでも続く菜の花畑、それに群がる紋白蝶々。夜には天の川やたくさんの煌めく星々に抱かれて、ゆったりとした時間を過ごしていました。今にして思えば、私の色彩豊かで優美な画風はこの時に育まれたのかもしれません。

ある時、家の押し入れの壁や洋服タンスの扉、家の外壁にもクレヨンや母の口紅でお絵描きをした事があります。
でも、ありがたいことに、両親は、それを叱りませんでした。そして私を伸び伸びと育ててくれました。

絵が好きなまま成長した私は、美術大学を目指し、日本画と出会いました。

天然の紙と天然の膠。石や貝を砕いて作った岩絵の具。日本画の画材は、自然の物で出来ていて、絵を見てて「息ができる」と思えました。

星が好きだった私にとって岩絵の具は、まさに地球のかけら、星のかけら。キラキラと輝く岩絵の具は美しく、宇宙とつながっている事を常に意識して絵を描くことができます。

ただ、学生時代の私には、常に劣等感がついてまわりました。

絵が好きと言うだけで踏み入れた道だけど、周りは圧倒的にデッサンの上手い子だらけ。自分の下手さ加減にもがきながら絵を描いていました。

そんな折、教授がとある作家のレセプションパーティーに連れて行ってくれました。その方は、私に描き続けることの大切さを教えてくれました。どんなに上手くても描かなくなってしまう人はたくさんいる。でもそれでは絵描きでは無い。どんなに下手くそでも描き続けているかぎり絵描きなんだと。

目からうろこがとれるような体験でした。あれから30数年経ちますが、ずっとその言葉を支えに制作をしています。

画家になる為には、どんな道があるでしょう?

美術大学を出て、公募展に出品して賞を獲り、知名度が上がり絵が売れて行く・・・。何の知識も情報も無かった私には、そんな方法しか思い浮かびませんでした。

昼間は働いて画材代を稼ぎ、寝る間を惜しみ夜間に制作する生活。そして毎年2回ある公募展出品と個展、グループ展での作品発表。公募展に応募するものは100号を越える大きさです。日本画はパネルを寝かせて描くので、もうそれだけで部屋を占領されてしまい、部屋の反対側に行くのにも一苦労といった感じです。額装した重い作品を担いで搬入したり、絵描きって肉体労働だな、と思います。

それでも妊娠、出産、育児の間も含め絵を描かなかった時期は一度もありません。まるで自分の使命かのように描いていました。

美術大学を卒業する時に、教授がクラスのみんなにこんな事を言いました。

「君達の中から10年後にも描き続けてる子が1人でもいたら嬉しい。」

と。

みんな描いてるに決まってる。何を言ってるんだろう、とその時は思いましたが、事実あんなにも上手かった同級生たちは、どんどんと絵から離れて行ってしまいました。

私が欲しくて欲しくてたまらない才能を持っているのに!

じゃあなぜ私は描かずにはいられないんだろう?

創造する産みの苦しみの中で自問しても「好きだから」、「芸術の星の元に生まれたから」、そんな答えしか見つからず、それで納得していました。

日本国内だけで活動していた時は。

「夢は日本画で世界制覇!」。

広い世界で活躍したい願い、この言葉を口に出すようになりました。

そしてJCAT(Japanese Contemporary Artist Team)と出会ったことで私の願いは実現に向けてどんどんと動き始めました。

初めてのニューヨークでの展覧会は、とても貴重でエキサイティングな経験が出来ました。

日本で展覧会をしていると「どうやって描くの?」と、テクニック面をよく聞かれます。それがニューヨークでは、「なぜこれを描いているの?」「あなたのスピリットは?」と作品に対する精神性ばかりを聞かれました。

「花が好きだから」「綺麗なものを綺麗に描きたいから」、そんな答えじゃ納得してもらえません。日本の四季の花の移り変わりを描いたことを伝えるとやっと「あなたは時の流れを描いたのね。素晴らしい!」と、パッと目を輝かせてくれました。「この絵が好き!」と言って頂けた時は嬉しかったです。自分の作品についてちゃんと語れることの大事さを知りました。今までの作品作りは「Me」でしたが、それが「With You」へと変わった体験でした。アートはクリエイティビティのシェアなんだ、と気が付いたのです。

海外の展覧会に絵を送っただけでは、絵は何かを学んで帰って来てくれるわけではありません。やはり自分が現地へ行ってこそ、体験してこそ得るものがあるのだと思います。

私は自分の持つ明るくおおらかな大きなエネルギーをアートに向かわせています。これからは、自分の得たものを与えて、豊かさを伝えていきたいです。それがアーティストとしての自分のミッションだと思っています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。